投資銀行のキャリアウーマンから母親業と仕事をかけもつフリーランサーへ
ー 私の『華麗』な転身
はじめに
朝の7時半に4歳の娘が起きたか寝室をのぞきに行くたび、あのまま典型的な会社人間の道を歩んでいたら一体私はどんな人生を歩んでいたのだろう、としみじみ考えます。20代、そして30代前半の頃は、会社で働く以外の自分の姿など想像もできませんでしたが、その一方で母親になるとは思いもよりませんでした。キャリアを犠牲にしてまで子供を欲しくはなかったのです。育児も、そして仕事でも満足の結果を出す、私が理想とする女性像の人達に実際出会うまでは、母親になることへの関心は低かったです。
どのような変遷をたどってきたのでしょう?
ビジネススクール時代に参加したランチの会合で聞いた、ウォール街の投資銀行の女性幹部の話は衝撃的でした。彼女は冗談交じりに自分の稼ぎは全て家計と子供に消えていると話しました。病院で出産中に電話会議に参加したとも語っていました。これが『すべてを手に入れた女性』の真の姿なのか。正直がっかりしました。そんな形でしか子供を育てられないなら、産まない方がまし。私はそう心に決めました。女性は子供がいないほうがビジネスの世界では有利なのです。
しかし、キャリアを積めば積むほどするほどむなしくなりました。経歴はそれなりに見映えがするようになったものの、虚無感を埋めることは出来ず、長いこと自問自答を繰り返す自分がいました。その結果、最初の結婚は失敗に終わり、幼い娘を連れて再婚しました。娘のDesireeを出産後、私は自分のキャリアなどどうでも良くなったのです。
娘が生まれる前は、朝の5時に起きて東京から米国市場をチェックし、西海岸の同僚達との電話会議に明け暮れていました。その後慌ただしくジムへ行き、朝食をとり、7時には自分のデスクにつき、そこから夜の7時までひたすら働いていたのです。夕食後はニューヨークもしくは東京からのメールへの返信。(自分がその時どこにいるかで返信先が変わります。)投資銀行で働き始めた頃は、2週間おきにサンフランシスコと東京を往復していました。時差ボケの家と職場の境界線もはっきりしない頭を抱え、寝付くことも出来ないまま午前2時にキッチンでラップトップに向かうこともしばしばでした。
子供がいては、そのような生活を続けることは多大な代償を払うことになるか、継続不能でしかありません。だからこそ、当時と現在の自分を比べるにつけ、今の働き方と暮らしが出来ることを本当にありがたく感じ、私は心の中でそっと感謝の言葉を唱えるのです。娘が起きるまでの早朝のわずかな時間に仕事を詰め込むことは今も昔も変わりません。だからといって彼女を無理やり起こし、朝一番に慌ただしく保育所へ預ける必要もありません。夜どおしぐっすり眠ることが出来た娘が自然に目を覚ます時間に窓のブラインドを開けると、「おはようママ!」と機嫌の良い彼女の声が心地良く響きます。
ずばり、あなたの日本語力は?
日本語を学び始めた1995年以来、私にとって『日本語と関わる生活』はもっぱらアメリカを拠点にしたものだったので、語学習得の意味では英語を学んだ日本人と同じだと思います。つまり、読む方が話すよりはるかに得意なのです。「どんな困難な状況でも一縷の望みはある」が信条の私ならではの見解ですが、仕事のために語学力を磨くなら、読解力に重点を置いたほうがはるかに役立つのではないでしょうか。
また、日本人に腹を割り、心を開いて話して欲しいならば、英語のコミュニ―ションでは限界があると思うのです。前職では、東京オフィスの同僚達はおそろしく長い時間働いていることで有名でした。 そんな彼らが東京時間の夜中にアメリカの私へ仕事を引き継ぎ、翌朝出社したらその仕事は魔法のように完了した状態でメールの受信ボックスに届いている、まるで『24時間体制のチーム』のような連携プレーをしていたのです。東京オフィスがどういう状況なのか、他のオフィスのメンバーが把握していなくても、私だけは分かっていました。それは私が東京のスタッフと日本語でやりとりしていたからです。彼らの英語に問題があるわけではありません。しかし、午前1時に英語でやりとりするよりも、母国語でメッセージをやりとりしたほうがはるかに楽であることは容易に想像がつきます。しかもその内容がエクセルを使ったバリュエーションモデルやパワーポイントを駆使した日系企業向けの営業資料だとしたら・・・長い1日の終わりに日本語でやりとり出来ることはもはや「ありがたい」のレベルではなく、彼らにとっては「必須」だったのです。
ワークシフトとの出会いは?利用しての感想は?
2017年の初めにさかのぼります。ラスベガスで開催される家電の見本市に出展する日系企業が現地でお手伝いできる現地の人材をワークシフトを通じて探していました。それ以来、ワークシフトとの関係は深まる一方です。今までに本の翻訳から現地調査、投資関連のアドバイスなど、多岐に亘るお仕事をうけてきました。日本滞在中、娘を連れてワークシフトのオフィスを訪ねた時は、快く迎え入れてくれました。ワークシフト内の登録スキルや居住国のスクリーニング技術のおかげで自分に適さない仕事に煩わされることはなく、一方で私にぴったりな仕事がある時は真っ先に通知をもらえます。
ワークシフトのプラットフォームの利点は、自分の作業量を管理できることです。他のプロジェクトを抱えていたり、出張や私用がある場合は請け負う仕事の量をセーブすることができます。そういう選択肢があることに加え、クライアントとフリーランサー間の透明性の高いギブアンドテイクな関係から、お互いへの信頼感と責任感が育まれます。私のスキルに見合った報酬よりも、クライアントの提示金額が低い場合は、プラットフォーム上で交渉も可能です。ワークシフトは全てのフリーランサーに最善の機会を提供してくれる場だと思います。それがフリーランサーの立場からは、熾烈な競争関係とは全く異なる、まるで家族のような共同体のプラットフォームであることを実感できるのです。
本題から脱線しますが最後に・・・
なぜ日本に興味を持ったのですか?
1993年、18才の時にディズニーオンアイス出演のため初来日しました。大学を休学し、プロスケーターとして初めてツアーに参加した国が日本でした。3ヶ月間、全国津々浦々でショーに出演し、『本当の日本』を私なりに体感しました。それが大学で日本語を学ぶきっかけとなり、現在に至ります。