日々の生活はおもしろいストーリーや新しい気付きがあふれています
こんにちは!私の名前は「ミシェルレム」です。はじめまして。
私はアメリカのシカゴ出身です。現在アメリカに住んでいますが、もうすぐ韓国に戻ります。
「戻ります」と言ったのは、以前韓国で2年間教鞭を執ったことがあるからです。私は今、英語教育の修士号に取り組んでいるのですが、プログラムの半分を米国で、残りの半分をソウルで行う事で、2つの学位を取ることができるのです。今年はアメリカのプログラムの最終年、来年から韓国でのプログラムが始まります。
授業のスケジュールと居住地が常に変わるため、フリーランスとして働くことや、ワークシフトのクライアントのためにライターとして働くことが生活スタイルに合っていて好きになりました。私は仕事の柔軟性や多様性、そして自分の言葉で文章を表現する機会を楽しんでいます。
なぜ書くのが好きなのですか?
成長するなかで、私は母と多くの時間を過ごしてきました。彼女は幼い頃から私に文章を読む喜びを教えようとし、いろいろ工夫を凝らしながら、上手くやっていました。私の子供のころの思い出は、ランプライトもと母のひざの上で本を読んでいる光景です。本とそれが持つ世界観への興味はどんどん高まっていきました。自分の部屋を離れることなく、中つ国とナルニアの大地を横断する旅に迷い込んでいました。
私の読書への愛着が執筆に変わった瞬間を正確に特定するのは難しいですが、思いつくとすれば、それは5年生くらいのころでしょう。そのころ、私はNeopetsと呼ばれるウェブサイトを発見しました。Neopetsでは、仮想ペットを作成し、餌を与え、遊ぶことができます。また、Neoboardsと呼ばれる社会的な側面もありました-プレイヤーがチャットするためのフォーラムです。
これらのボードゲームを通じて、サイトの新しい側面であるオリジナル・キャラクター創りを発見しました。ここでは、ユーザーはペットのキャラクターのみならず背景にあるストーリーを考え、ロールプレイを通じてペットの性格を設定していくことができます。言うまでもなく、私はこのゲームに夢中になりました。ペットのために精巧な(ただし全てがオリジナルではない)キャラクター創りと背景にある物語を書きながら夜を過ごしていました。
私が文章を書くのが好きになった理由の一つはネオペットだと思います。何時間も何時間も費やし、私の作品に目を輝かせながら磨きをかけたことで、文学はただ読むだけのものではないことを証明してくれました。それは私がストーリーを書き、想像し、コントロールすることができるものでした。その後は経験を積むことで、執筆への情熱を燃え続けさせていきました。
何について執筆するのが好きですか?
読書については遠い未知の国についての書籍を楽しんでいますが、執筆については自分の身近な題材について書くことが好きです。街を行き交う人々を見ながらいろいろ妄想します。彼(女)らは私が想像することができる独自の様々な生活をしているはずです。人々の日々の葛藤、希望、夢、これらは私が大好な執筆題材です。
日常生活のシンプルさに美しさがあります。私の執筆題材が何か壮大な内容でも、例えば旅行、冒険、ゼロからのビジネス構築などであっても、それらを行うのは人々です。人間であることの意味を探ることは、作家としての私にとって大切な題材です。
私が子供の頃にキャラクター創りを楽しんだ理由はそこにあると思います。私はほとんどの時間を自分のキャラクターが誰であるかだけでなく、なぜそうなのかを探っていました。今でもこれを楽しんでおり、自分に問いかけるのが好きです。どんな物語を人々と共有できるんだろうか、と。
これらの問いは、私の執筆で深堀していくのが大好きなテーマです。誰であれ、出身に関係なく、共有したり、教えたりするものがあります。作家として、私は単に学ぶためにここにいます。
いつもはどんな作品を書きますか?
フリーランサーとして、自分の経験について書くことが多いです。旅の宣伝文句、化粧品のレビュー、食べ物に関する話など、これらは私の筆者としてのキャリアの大部分を占めています。
自分自身を創造的執筆のスキルを持っているライターと考えていますが、現実を書くことも気にしません。前にもお伝えしたように、私は日常生活について書くことを楽しんでいます(たとえ誰かの「日常生活」が知覚的にいつもよりもはるかに刺激的であっても)。私のクライアントは、日々繰り返される伝えたいビジョンを持っています。筆者として、もし私がそのビジョンを実現化する一役を担えれば大満足です。
将来、さらに創造的な分野に進んでいきたいと思っています。例えばゴーストライティング、編集、創造的な執筆活動です。そうは言っても、私は人生のシンプルなことについて書くことを楽しんでいます。これが、ライターとして働くことに満足している理由です。常に語るべき物語があり、常に新しい発見があるからです。